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zoom RSS フルトヴェングラーのベートーヴェン「交響曲第4番」

<<   作成日時 : 2007/06/11 22:26   >>

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今日はウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調作品60を聴いてみた。1952年12月のスタジオ録音である。

シューマンがベートーヴェンの交響曲第4番を「北欧神話の2人の巨人にはさまれたギリシアの乙女」と評したことは有名である。この評言に「ギリシアの」という形容詞が付いていることは一般に軽視されているのではないだろうか。第4交響曲は、優雅で清純な乙女のようであるばかりでなく、古典的で、地中海の陽光のような明るい曲だというわけである。少なくともシューマンはそのように評価したのである。そのような曲のイメージを満喫させてくれる筆頭はは、古い演奏ではフルトヴェングラーのライバルだったトスカニーニであろう。

ところでこのフルトヴェングラーの演奏は、デモーニッシュ(悪魔的)というのだろうか、もの凄いものだ。彼はシューマンの評価とちょうど正反対の演奏をしている。優雅なはずの第1楽章では、ゆっくりしたテンポに支えられて、スケールが大きく、何か深々としたもの、どこかに暗いものさえ感じられる。平穏なはずの第2楽章は緊張感に満ちている。第3楽章から4楽章にかけての流れもそうだ。明るくはなやかはずの第4楽章に大きなスケールが感じられ、さらにどこかに深淵さえ感じさせないだろうか。少なくとも地中海の陽光のような雰囲気は存在しない。古典的どころかロマン的な感情の起伏さえ感じられるのではないだろうか。

シューマンはこの第4交響曲にこのような側面が存在すること、あるいはこのような演奏が可能だということを想像できなったのだろう。それどころかベートーヴェン自身が、この曲のこのような側面を意識して作曲しなかったのかもしれない。そしてもしこのフルトヴェングラーの演奏を聴いたら、驚喜するかもしれない。まさにフルトヴェングラーにして初めて可能な演奏である。

フルトヴェングラーの演奏はスタジオ録音でさえこれだけ凄いのだから、実演(その一部はCD化されているはずだ)はもっと凄かったはずだ。彼は同じ演奏を生涯に2度としなかったと言われる。彼にとっては、1回1回の演奏が再現芸術でなく、楽譜という形式の中で行われる創作芸術だったのだ。彼のような指揮者は今後2度と現れないだろうし、彼の実演を聴くことのできた聴衆はまことに幸せだったというべきだろう。
ただしトスカニーニのような作曲者の意図に忠実で、それこそ「ギリシアの乙女」のような演奏をする指揮者とフルトヴェングラーのどちらが上だと感じるか、それはもちろん聴く者の好みの問題である。ぼく自身はフルトヴェングラー派だけれど…。

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