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ミル(山岡洋一訳)『自由論』(光文社古典新訳文庫)という本を今日まで読み終えた。ミル『自由論』は1859年に出版された19世紀自由主義思想の古典的著作である。「訳者あとがき」によると、日本では明治4年(1871年)に初めて中村正直訳で出版され、福沢諭吉『西洋事情』などとならび明治初期のベストセラーだったという。 ぼくは大学が法学部だったので、ミル『自由論』は学生時代に読んだ(岩波文庫でだったと思う)。だがそれは四半世紀も前のことで、中身はすっかり忘れてしまっていた。そこで今回『カラマーゾフの兄弟』が異例の売れ行きを示している光文社古典新訳文庫で新訳が出たのを機に、読み直してみた。 読んでみて感動させられた。個人の思想・言論の自由の重要性、国家や宗教によるその侵害の危険性、個人が多様な個性を持つことの重要性、個人の領域と社会の領域の限界、といった自由主義思想の根幹をなすテーマが、分かりやすく説得力をもって語られている。これらのテーマは今日でも、いやマス・メディアの影響に伴う個々人の個性の喪失が深刻な問題となりつつある今日こそ、非常に重要なものだ。その上、教育の多様性や地方分権といった今日的名テーマにも論及してあることには驚かされる。 この『自由論』の出版後、20世紀にかけて、先進国では、労働条件の悪化、社会的格差の増大、世界大恐慌とそれに伴う失業者の増大などの問題が現れて、ケインズ政策が施行され、国家の役割が増大した。いわゆる「大きな政府」「福祉国家」である。しかしこのことはミルの唱える自由主義の価値を減じるものではない。「大きな政府」は自由主義が時々問題を起こした時にそれを補完するものとして位置づけるべきものであって、基本的には自由主義の方が国家社会の運営はうまくいくであろう(とぼくは思う)。1970年代以降だんだん「小さな政府」の方がうまくいくようになったのは、その証左である。ただし現在悪名高い「新自由主義」はまた別問題である。 ぼくが今回このミル『自由論』を読んだのは、翻訳が山岡洋一氏によるものだったからだ。山岡さんの訳をはじめて読んだのは、5、6年前、国際政治学者ジョセフ・ナイの『アメリカへの警告』(日本経済新聞社)という本だったと思う。以降、同じナイの『ソフト・パワー』、アベグレン『新・日本の経営』、アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー『富の未来 上・下』と山岡さんの訳書を読んできた。いずれも内容がすぐれているだけでなく、翻訳もまた非常にすぐれたものだった。 今回の『自由論』も、少し直訳調になっている個所もあるものの、読みやすく、原文は難解と思われる個所も比較的容易に理解することができた。 山岡さんは、アダム・スミス『国富論』の翻訳も出されているようだ。これもいつかは読んでみたい。 |
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アルトゥールさん、お久し振りです。ミルの「 自由論 」ですか。若い頃読みました。確か <生産と人間の関係> マルクスの社会主義からの脱出、そして、民主主義社会への移行。そして <消極的自由論> から、社会派思想にも及んでしまったんですね。どうも天才の脳の構造は理解し難しです。あくまでこれは、私の貧弱な脳構造の所以です。若い頃、経済専攻の友人と酒を飲みながら語ったのを思い出して・・・ |
my favorite stories 2007/10/25 19:05 |
my favoite storiesさん、コメントを有難うございます。 |
アルトゥール 2007/10/26 21:25 |
アルトゥールさん、おはようございます。どうも申し訳ございません。昔読んだ、哲学書や経済書が頭の中で錯綜してしまっており、間違いを書いてしまいました。ニコチンで汚れたそれらの書物は、家にないものですから・・・次のコメントは注意して書かせて戴きます。ご容赦下さい。 |
my favorite stories 2007/10/27 11:21 |
my favorite storiesさん、飛んでもありません。 |
アルトゥール 2007/10/27 19:48 |
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