クラシック音楽のある毎日

アクセスカウンタ

zoom RSS 村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋)

<<   作成日時 : 2017/04/01 10:05  

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋=文春文庫)という本を読み終えた。
本書は短編集である。『ドライブ・マイ・カー』『イエスタデイ』『独立器官』『シェエラザード』『木野』『女のいない男たち』の6編で構成されている。
本書が単行本で出たのは2014年4月だった。著者である村上春樹氏の「まえがき」によると、2005年の『東京奇譚集』以来9年ぶりの短編集とのことである。

本書を読み終えての感想は、一言で言うと「面白かった」というものだった。
タイトルから分かるように、本書に含まれている6編は、いずれも死別・失恋により、女のいなくなった男たちをテーマにしている。
『ドライブ・マイ・カー』は、妻と死別した中年俳優が、無口な女性ドライバーを雇い、彼女の運転する車に乗りながら徐々に過去の苦しい思いを打ち明けていく物語である。
『イエスタデイ』は、ユーモラスで深刻な若者の恋の物語である。
『独立器官』では、52歳の独身医師が16歳若い女性と深い恋に陥る。
『シェエラザード』では、女子高校生の純粋と狂気の同居した恋が語られる(本編だけは、女のいなくなった男の物語ではない)。
『木野』では、妻の不倫をきっかけに会社を辞めバーの経営を始めた男が、奇妙な出来事に遭遇するようになる。本作には、今年出た『騎士団長殺し』につながる要素が含まれている。
『女のいない男たち』は、真夜中に昔の恋人の自殺を知らされた男の心境が語られる。

管理人が最も印象に残ったのは、最後の『女のいない男たち』だった。
本作は掌編だが、「女がいなくなる」ということがどのようなことなのか、どんなに苦しく絶望的なことなのかが、そのままずばり語られている。

「女のいない男たちになるのがどれくらい切ないことなのか、心痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。素敵な西風を失うこと。十四歳を永遠に奪われてしまうこと。遠くに水夫たちの物憂くも痛ましい歌を聴くこと。アンモナイトとシーラカンスと共に暗い海の底に潜むこと。夜中の一時過ぎに誰かの家に電話をかけること。夜中の一時過ぎに誰かから電話がかかってくること。知と無知との中間地点で見知らぬ相手と待ち合わせること。タイヤの空気圧を測りながら、乾いた路上に涙をこぼすこと。」(291頁)

「女がいなくなる」ということは(男のいなくなった女性も同様だろうと思う)、人生において他にあり得ないくらい、大きな苦しみと喪失感と絶望と一生消えない傷をもたらすものなのだ。

村上春樹氏は「まえがき」で、自分は長編を書く方が体質に向いており、短編をあちこちに切れ切れに書いていると力の配分がうまくいかないので、短編を書く場合は6、7本を集中してまとめ書きする旨を述べている。
確かに、村上氏のこれまでの創作活動を顧みると、その中心をなすのは明らかに『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海のカフカ』『1Q84』といった長編、それも大長編であることは、各作品の出来不出来は別にして、間違いない。
短編小説は、長編を書くことの手すさび、余技として書かれたに過ぎないような印象を受ける。
管理人は、村上氏の長編よりも短編に好きな作品が多いのだが…。
今年出た大長編『騎士団長殺し』は、68歳になった同氏の創作力の衰えを感じざるをえないものだった。しかし、本書を読むかぎり、村上氏は、短編の分野では、まだまだ十分な才気と創作力を保持しているのではないだろうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋) クラシック音楽のある毎日/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる