漢詩の楽しみ―王維Ⅰ

先日、ブログ先輩であるmy favorite storiesさんが漢詩について記事を書かれていました。それを読んでぼくはたいへん感激しました。ぼくも若い頃、漢詩が好きだったのです。
ぼくが漢詩に親しんだきっかけは、高校の国語の授業でした。李白・杜甫・王維らの唐詩を学んで夢中になり、登下校の電車の中で李白の詩を読んだりしていました(同級生からは当然のように変人扱いされました)。しかし就職した後は、自分の心の中に漢詩を読んだりするような余裕がなくなり、40歳を過ぎるあたりまで漢詩の世界とはすっかりご無沙汰していたのです。

しかし40歳を過ぎた辺りから、論語・孟子や老荘など中国の古典に興味を持つようになりました。心にやさしいというか、西洋思想にない穏やかさ、温和さに魅かれるようになったのです。それととも久しぶりに漢詩を読むようになったのです。

今日は王維の詩を読んでみました。王維は李白・杜甫に次ぐ3番手のように扱われているようですが、自身が大画家でもあった彼の叙景的な詩は味わい豊かなものがあります。

   田園楽
 桃紅復含宿雨  桃は紅にして復た宿雨を含む
 柳緑更帯春煙  柳は緑にして更に春煙を帯ぶ
 花落家童未掃  花落ちて家童未だ掃わず
 鶯啼山客猶眠  鶯啼いて山客猶お眠る

のどかな田園生活が目に見えるようです。美しい風景と、少年の召使がまだ掃除をせず客はまだ眠っているという暢気さ・ユーモアの対比は絶妙です。もちろん春の詩ですが、今の季節に読んでも別に違和感はないでしょう。

もう一つ田園生活を歌った詩として

   しゅゆ片
 結実紅且緑   実を結んで紅にして且つ緑
 復如花更開   復た花の更に開くが如し
 山中若留客   山中もし客を留めば
 置此芙蓉杯   此の芙蓉の杯を置かん

後2句は、「この山の中で客をおひき留めするときは、この芙蓉(蓮の花のことです)の杯を用意せねばならない」というほどの意味です。

以上は、岩波文庫「王維詩集」(小川環樹・都留春雄・入谷仙介選訳)によります。

本ブログでは、これまで読書というと政治経済関係か小説ばかりでした。今後は少しずつ詩も取り上げていきたいと思っております。
 

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この記事へのコメント

my favorite stories
2007年07月08日 12:46
 アルトゥールさん、こんにちは。お久し振りです。ところで・・・王維 ですか。いいですね。アルトゥールさんがお書きになられた「 田園楽 」七首、其六が一番好きです。冒頭の < 桃は紅にして また宿雨を含み 柳は緑にして・・・> は 本当に優雅です。私は、この句に続くのが「 春園即時 」だと思っているんですよ。< 宿雨 軽屐に乗じ 春寒 弊皰を著る・・・>
 ところで アルトゥールさん の時代は漢詩なんて・・・変人扱い・・・確かにそういう傾向が今はあるみたいですね。私の時代は漢詩は勿論のこと、シェークスピア の有名な詩や独白を言えませんと、仲間に入れてもらえませんでした。その点はいい時代だったのでしょうか。今でも暗記している詩や名文は、みんな10代の頃覚えたものばかりです。これから アルトゥールさん のお書きになるブログ楽しみにしております。今の時代だからこそ漢詩・・・嬉しいですね。どうも失礼致しました。これからも宜しくお願い致します。
2007年07月08日 17:43
高校で初めて読んだ漢詩のひとつに「桃夭」がありました。   

桃之夭夭 灼灼其華
之子于歸 宜其室家

桃之夭夭 有賁其實
之子于歸 宜其家室

桃之夭夭 其葉蓁蓁
之子于歸 宜其家人  

桃の夭々たる 灼々たりその華
この子ゆきとつぐ その室家によろしからん
桃の夭々たる ふんたるその実あり
この子ゆきとつぐ その家室によろしからん

桃の夭々たる その葉蓁々たり
この子ゆきとつぐ その家人によろしからん

音読した時の何ともいえないリズム。
繰り返される爛漫の桃の花のイメージに陶然と心をゆだねる心地よさ。

定年で退職され、皆から「モグ」と呼ばれていた老講師が丁寧に「読み下した」この漢詩は強い視覚的イメージを持って私の記憶に刷り込まれました。漢字、という表意文字の持つ無限なまでの豊かさに気づかされたのは、このモグの授業がはじめてでした。
2007年07月08日 17:43
後に万葉集で、大伴家持のうた

春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立
春の苑(その)、紅にほふ桃の花、下照る道に、出でたつ少女(おとめ)

春の輝きのうちに咲き誇る桃の花と、その花に託された、美しく初々しい祝福の喜び。
このふたつの詩が奏でる重層的で匂うような乙女の心象に目が眩むような思いをいたしました。
この家持の歌が、先の「桃夭」を踏まえての物であることは周知のことなのでしょうが、国や文化を超えての「本歌取り」のおおらかさに感動しました。

アルトゥールさんの漢詩への深い造詣とは、比べ物にならないコメントですが、漢詩は、停滞中とはいえ、今なお私の大きな好奇心の対象です。
こちらで、漢詩への新たな窓が開かれますことを期待しております。
2007年07月08日 21:39
my favorite storiesさん、コメント有難うございます。
漢詩に関しては、私はまだ初級者以下です。私の持っている
岩波の王維詩集には、もう川集は全部載っているのですが、
田園楽は最初の1首しか載っていませんでした。他の出版社
から出ている王維集を近々買ってみます。

私の一世代、二世代上の方の間では、シェークスピア、ドス
トエフスキー、マルクスは必読書だったと聞きます。ただ私
の高校・大学の頃は、テニス、サーフィン、合コン、ディス
コなどが流行していた時代でした。音楽では、山口百恵、松
田聖子といったアイドル全盛の時代でした。そんな中でクラ
シック音楽、ドストエフスキー、李白などが好きという私は、
変人扱いされていたように思います。女性には当然ながらあ
まり縁がありませんでした。

その後四半世紀が経過し、今では、環境問題、貧困問題、凶悪
犯罪、役所の不祥事等を見るにつけ、テニスや松田聖子が流行
していた昔は平和で良かったと思うようになりました。
人間とはそんなもんなのでしょうね…。
2007年07月08日 22:03
aostaさん、コメント有難うございます。
私は漢詩は「造詣が深い」どころか初心者です。40歳を
過ぎた頃から電車の人混みの中で(笑)漢詩を始めたので
す。今回ご紹介いただいた詩や大伴家持の歌は、ともに初
めて知ったもので、へえーと思いました。

ところで話し変わりますが、私は一時期自分に何の信仰も
ないことにコンプレックスを感じていました。そこで仏教
の本を読んだり、キリスト教の教会に通ったりしたのです
が、どちらもどうも自分に合わないんですよね。自分がい
ちばんシンパシーを感じるのが論語を始めとする中国思想
です。そういう経緯で、中国思想に親しむと共に久しぶり
に漢詩の世界に舞い戻ってきたのです。
2007年07月10日 07:45
おはようございます。

>私は一時期自分に何の信仰もないことに
        コンプレックスを感じていました

変な言い方かも知れませんがアルトゥールさんらしい、真摯なお言葉だと思います。
人間でしたら形は違え、誰でも宗教心は持っているのではないでしょうか。大自然の大きさ美しさに包まれたとき感じる怖れに似た感覚。人間の存在がなんて小さく感じられることでしょう。
私は「宗教は?」と聞かれれば「キリスト教」と答えますが、日本人としての文化的精神的アイデンティーに、多分遺伝子レベルで刷り込まれている神道的、仏教的感性を否定したくはありません。
それは信じるというものではなく、感じる世界なのかもしれませんが。
望み求めたからこその出会いではありましたが、私はキリスト教の信仰に出会えたことは本当にしあわせなことと思っています。
しかし、神道的な、また仏教的な感性は、「初めからあったもの」です。
ここから深い精神の井戸を掘ることもできたはず。
アルトゥールさんが中国思想に魅かれるということはとても素敵なことだと思います。
2007年07月10日 07:46
アルトゥールさん、長くてごめんなさい。

昨日、読み終えたばかりの本「ツクヨミ秘された神」によりますと、私たちが日本固有の物と思っていた神道も、その始まりにおいて中国の道教に大きな影響を受けていることのことでした。
長い長い時間をかけて私たちを形作ってきた、目に見えない精神世界や思想の流れに思いを馳せることも大きな喜びですね。
2007年07月10日 08:11
aostaさん、おはようございます。
すばらしいコメントを頂きました。有難うございます。

aostaさんがキリスト教を信仰しておられることは、
存知ていました。信仰することのできる宗教がある
のは素晴らしいことだと思います。
私も日曜日にキリスト教会に通っていた時期はあり
ます。牧師さんの話はどれも有難く受け止めること
ができたのですが、どうも全体として私の感性と合
わなかったのです。aostaさんの仰る神道的・仏教的
感性のせいかもしれませんし、単に私が頑迷なのか
もしれません。
そういうわけで、今は中国思想に馴染んでいますが、
今でも聖書は仕事机の近くのすぐ手に取れる場所に
置いてあります。また、これは以前Noraさんのブロ
グに書いたことのある話ですが、クラシック音楽で
も宗教曲は、はキリスト教徒でない私が聞いたとし
て本当の意味で理解できるのだろうか、聞く意味が
あるのだろうか、という疑問から、めったに聞くこ
とはありません。
2007年07月11日 18:19
 こんにちは。
 漢詩の世界はずっとあこがれでしたが、ほとんど接したことが無いばかりか、例によって学生時代ろくに勉強しなかったので、どこから手をつけていいやらさっぱりわかりませんでした。
 このような記事を書いていただいて、感激しています。
 御紹介していただいた詩、まるで音楽のように心に響いてきます。しかも、わたしの好きな、春のあたたかい音楽。さっそく王維の詩集を借りてきてしまいました。
 これからも、ぜひ、よい詩を御紹介ください。それと、杜甫や李白は、名前くらいは知ってましたが、やはり、押さえておいたほうがよいのでしょうか。
2007年07月11日 21:41
Noraさん、コメント有難うございます。
私は漢詩は高校・大学時代は詠んでいましたが、
就職してからは時間と心に余裕がなくなり、最近まで詩を
読むことはありませんでした。
ですから私も初心者同然なのです。
李白と王維は大好きです。けれども、これは全くの個人の
趣味ですが、昔から杜甫は今一つピンとこないんですよ。

なお、私が30年近く前から暗誦してきたのは、李白の

 早発白帝城
朝辞白帝彩雲間  朝に辞す白帝 彩雲の間
千里江陵一日還  千里の江陵 一日にして還る
両岸猿声啼不尽  両岸の猿声 啼いて尽まらず
軽舟巳過万重山  軽舟すでに過ぐ 万重の山

また王維の五言絶句
 鹿柴
空山不見人  空山 人を見ず
但聞人語響  但だ聞く人語の響きを
返景入深林  返景 深林に入り
復照青苔上  復た照らす 青苔の上を

このあたりです。
2007年07月19日 11:52
 おはようございます。
 王維と李白の詩集を借りてきて、少しずつ読んでます。
 王維が、一つの情景をしみじみと描きつくすのに対して、
 李白は、言葉ごとに雄大なファンタジーがくりひろげられる、といった感じなのでしょうか。どちらも、とてもよいです。
 ただ、まだ初心者のわたしには、どちらかと言うと、李白の方がとっつきやすいかもしれません。これから、どうなるか。
 毎日、朝一番で、「漢詩の世界」というのをやってるのを発見し、(教育テレビ)楽しみにしています。よい詩ばかりを選んで紹介してくれますし、やはり、原語の発音が、音楽のようで、すばらしい!
(たまに、朗読に気合が入りすぎてるような時もありますが)
2007年07月19日 20:13
Noraさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
李白は、風景の描写についてはスケールが大きく、
心情の吐露は率直で、初心者から専門家まで誰からも
愛される存在だと思います。
王維の方は、もう少し淡白な感じがしませんか?

私も昔、NHK教育テレビで漢詩の番組を見たことが
あります。原語だと韻を踏んでいるのが分かりました。
それにしても、日本語で読み下し文を読むのと、原語
で読むのとでは、まるで別の詩のようですね!

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