東野圭吾『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫)

東野圭吾『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫)という小説を読み終えた。

大学の研究助手を務める「私」の下にモトカノの中野沙也加から電話がかかってきた。
彼女は「私」と別れた後。結婚し一児の母となっているが、頼みたいことあるので会ってほしいという。
「私」が沙也加と会ってみると、彼女の亡くなった父が長野県の松原湖近くの家に時々通っていたので、その理由を探りたいという。
彼女は、自分が小学生になるまでの幼少時代についての記憶が全くない。その理由が、松原湖畔の家と関係があるかもしれないというのだ。
「私」と沙也加は2人で、その松原湖畔の家に向かう。その家にどんな秘密が隠されているのだろうか。

特異な家の特徴と、屋内に残された少年の日記をカギに、この家で何が起こったのか推理が進められていく。


本書に登場人物は「私」と沙也加の2人しか登場しない。また舞台も松原湖畔の家の中が大半を占める。
このように極端に凝縮された状況の下でストーリーを作っていくのは、本来非常に難しいはずだが、そこは稀代のストーリーテラーの東野さんのこと、無理を感じさせず、もちろん退屈な場面など一切なく、見事に極限状況でのミステリーの創作に成功していると思う。

解説(黒川博行)にこんなことが書いてある。
「…この作品の伏線の張り方は尋常なものではない。全編が伏線また伏線の連続といってもいいほどの純粋本格推理である。
 沙也加の父が残した真鍮の鍵、沙也加が告白した幼児虐待、松原湖近くの灰色の家、そこに残されていたアルバム、冷蔵庫の中の缶詰、11時10分でとまっているいくつかの時計、御厨佑介の日記、そこに書かれていたチャーミーという猫(”ベッドにチャーミーがいて、この間のようにみゃあみゃあとないていた”という記述で、わたしはぴんときたけれど…)、御厨啓一郎の手紙、家族健康ノート、家に電気製品のないこと(中略)と、言葉はわるいが、油断も隙もあったものじゃない。なにげない情景描写がひとつとして見落とすことのできない伏線になっているのだから、読者としては恐れ入りましたと頭を下げるしかない。それほどに輻輳した、すばらしい伏線の連続なのである。」

解説者は、チャーミーという猫の描写の個所でぴんときたそうだが、ぼくが家に電化製品がないというところがぴんときた。だが、これら全ての伏線をつなぎ合わせて真相に到達することは、当然のことだが、できなかった。
本書を途中まで読んで真相を推理することのできる読者は、おそらく皆無だろう。

このように本書は、非常に完成度の高いミステリーであり、非常に上質のエンターテインメント小説だと思う。

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    Excerpt: 食べたよ^^コンビニのおでんって手軽に食べるからいいよね―♪で今ローソンで全品70円だったから思わず買っちゃった☆大根と白滝とおいしかったけど餅入り巾着が以外においしかったなぁ^^寒いからあったかいも.. Weblog: ☆美香のブログ☆ racked: 2010-11-30 03:44