トルストイ(木村浩訳)『アンナ・カレーニナ』上・中・下(新潮文庫)

レフ・トルストイ(木村浩訳)『アンナ・カレーニナ』上・中・下(新潮文庫)を読了した。
『アンナ・カレーニナ』は新潮文庫版で約2000頁という大作である。管理人は仕事をしながらの読書だったせいもあり、読み始めてから読了するまで3ヶ月くらいを要した。もっともその間の読書は『アンナ・カレーニナ』だけではなかったが…。

本書『アンナ・カレーニナ』は世界文学史上有数の名作として有名な作品である。しかし管理人は学生時代(もう30年以上も前のことである)ドストエフスキー・ファンだったため、これまで読んだことはなかった。今回読了してみて、重厚で充実した文学を読了した時に得られる感動と充実感を味わっている。

本書は出版(1877年)されて以来、ドストエフスキーやトーマス・マンをはじめ世界中の多くの作家や文学研究者から評論を得ている。ここで管理人が付け加えるものは何もないだろうと思う。それゆえ、管理人が最も感じたことを述べてみたい。

まず本書は題名の通りアンナ・カレーニナの物語であるとともに、ロシアの地方地主リョーヴィンの物語だということだ。
本書の主要な登場人物は、アンナとその実兄オブロンスキー、オブロンスキーの妻ドリイ、ドリイの妹キチイ、アンナの夫カレーニン、アンナの愛人ヴロンスキー、それにリョーヴィンの7人である。しかし7人の中では、アンナとリョーヴィンの占める比重が、ページ数という点でも内面描写の濃さという点でも、非常に大きい。

アンナとリョーヴィンは対照的な人物である。アンナは美貌の女性であり、優しく誠実で、多情多感で情熱的な性格だ。リョーヴィンはお世辞にもイケメンとは言えず、不器用で、善良で、愚直と言ってよいくらい実直で、真摯な性格である。

アンナはヴロンスキーと恋に落ち、夫と息子を捨てて、ヴロンスキーの許へ走り娘を産む。リョーヴィンはキチイと幸福な結婚をし息子に恵まれる。
しかしアンナはヴロンスキーの愛を失い(ここはヴロンスキーの些細な態度や言葉をアンナが誤解した面があると思う)、精神的に追い詰められ破滅への道を辿る。一方リョーヴィンは、元々無神論者だったが、宗教問題、道徳論、ロシアの農業問題等に頭を悩ませていた。しかしキチイの愛を得て子宝に恵まれ、さらにロシアの素朴な農民との交流を続ける中で信仰を得るに至る。
この後半のアンナの破滅への道とリョーヴィンの幸福への道はまことに対照的だ。
管理人は、アンナが精神的に混乱していく内面描写と、リョーヴィンが感情に起伏を抱えながらも徐々に精神的に平穏を得るに至る描写に、圧倒された。無信仰だということにコンプレックスを抱えていたリョーヴィンが物語の最後で信仰を得るに至った場面は、ドストエフスキー『罪と罰』のラストで、主人公ラスコーリニコフがソーニャの愛によって復活した場面を思い出したりした。

しかし本書を読んでいると分かるが、アンナの破滅とリョーヴィンの幸福は決して必然ではない。むしろ偶然に左右されている面が大きい。例えばアンナは投身する直前に、信頼する義姉ドリイを訪問し自分の置かれている状況を打ち明けようとするが、たまたまドリイの許にドリイの妹キチイが来ていたため目的を果たせなかった。もしドリイの許にキチイが来ていなかったら、どうなっていただろう。親切なドリイはアンナに親身に助言をささげるだろうし、そうなればアンナは投身することはなく、ヴロンスキーとの間の感情の行き違いも解ける方向に向かっていたかもしれない。
逆に、一方のリョーヴィンも、一歩誤ると不幸に転落するという場面は何回もあった。

本書『アンナ・カレーニナ』は人間の幸不幸、さらには運命というものが、偶然や些細な出来事や人間の何気ない言葉・態度といったもので一変することを教えてくれる。

管理人がここまで書いてきたことは、管理人が本書を読んで感じたことの一部に過ぎない。その上、再読すればまた新たに多くの発見が得られるだろうと思う。名作文学というものは、読者の無限に近いくらい多くの感情を呼び起こすものである。

最後に木村浩氏の翻訳について一言。決して悪訳ではない(きちんとした日本語なっているかという点からすれば、むしろ良訳の部類だろう)が、平仮名を多用しすぎて読み辛い面があった。また1971年の版なのでそれほど古い訳でないにもかかわらず、登場人物の話言葉などに古い表現があると感じた。
現在では、光文社古典新訳文庫から出ている望月哲男氏の訳の方が良いのではないだろうか。

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)
新潮社
トルストイ

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