テミルカーノフ/読響の演奏会(10月9日)

昨日10月9日、東京・赤坂のサントリーホールで行われたユーリ・テミルカーノフ指揮読売日本交響楽団(以下、「読響」と省略します)の第592回定期演奏会を聴きました。
昨日のプログラムは次の通りでした。

ハイドン: 交響曲第94番ト長調「驚愕」
(休憩)
ショスタコーヴィチ: 交響曲第13番変ロ短調作品113「バビ・ヤール」

昨日のコンミスは日下紗矢子さん(特別客演コンサートマスター)でした。
またショスタコーヴィチの曲での歌唱は、新国立劇場合唱団(合唱指揮: 富平恭平)とピョートル・ミグノフ(バス独唱)でした。

管理人が読響を聴くのは、今年3月、当時常任指揮者だったシルヴァン・カンブルランの指揮でシェーンベルク「グレの歌」を聴いて以来です。読響は管理人の好きなオーケストラで、ここ20年くらいの間、1年又は2年に1回のペースで聴きに行っているように思います。
テミルカーノフは1938年生まれ、1988年にエフゲニー・ムラヴィンスキーの後を襲ってレニングラード・フィルの音楽監督となり、2015年以降読響の名誉指揮者をも務めている指揮者ですが、管理人が実演を聴くのは初めてでした。

さて昨日のコンサートですが、最初のハイドンは明朗・平明な作品です。アンダンテの第2楽章が特に有名です。ただ管理人はあまり好きな曲ではないのですが…。

昨日の聴きものは後半のショスタコーヴィチ「バビ・ヤール」だと思われます。本作はショスタコーヴィチ(1906〜1975)の後期に当たる1962年に完成した大作で、エフトゥシェンコの詩をテキストに作曲されたものです。オーケストラ及び指揮者にとって力が入っていただけでなく、聴衆の大半は本曲に期待して来場したのではないかと思います。次の5楽章からなります。

第1楽章: バビ・ヤール
第2楽章: ユーモア
第3楽章: 商店にて
第4楽章: 恐怖
第5楽章: 立身出世

バビ・ヤールとは、ウクライナの首都キエフ近郊の渓谷で、1941年この地を占拠したナチス・ドイツの手で34,000人のユダヤ人が銃殺されたということです。エフトゥシェンコの詩は、バビ・ヤールの悲劇、ナチスの凶行を告発したものです。また第2楽章「ユーモア」以下の4楽章は、旧ソ連の抑圧的な国家体制を告発または風刺したものです。
昨日は字幕があったお蔭で、歌唱の意味を理解することができました。
ショスタコーヴィチの付した作曲は、たいへん生々しい、重苦しく深刻な曲調です。途中で平穏な曲調になったように聴こえても、すぐにそれは表面だけで、内面に苦悩を抱えたアイロニカルなものであることが分かります。歌唱が男性合唱であることと、独唱がバスであることが、曲の深刻性を強めています。
管理人がこの曲を初めて聴いたのは20代の頃だったと思いますが、当初は難解な曲のように感じました。1990年代にベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の録音を聴き、この曲が相当な傑作、ショスタコーヴィチの全15曲の交響曲の中の最高傑作と感じるようになりました。しかし、あまりにも深刻な内容の曲のため、気軽に手に取って聴くような曲ではないように思ってきました。実演で聴くのは、もちろん初めてです。

昨日のテミルカーノフ指揮読響の演奏はたいへん素晴らしかったです。特にショスタコーヴィチの曲の第1楽章「バビ・ヤール」での凄まじい、迫力に満ち溢れた演奏が心に残りました。読響の得意とする弦楽器だけでなく、管楽器・打楽器の演奏も良かったと思います。
また昨日のプログラムは前半の明朗なハイドンと、後半の深刻で重苦しいショスタコーヴィチがたいへん対照的で、その辺にテミルカーノフとと読響の意図、すなわち前半にハイドンを置くことにより、ショスタコーヴィチ作品の傑作たる所以を浮かび上がらせようという意図を感じたりしました。

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