ズスケSQのベートーヴェン「弦楽四重奏曲第16番」

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ベートーヴェンの完成した作品としては最後になる「弦楽四重奏曲第16番作品135」を聴いてみた。演奏はズスケSQ(ベルリンSQ)で、1978年1~2月及び11月の録音である。

この曲は、それ以前に作曲された弦楽四重奏曲第13~15番(但し作曲順は第15、13、14)の3曲が長大なのに対し、小規模になり古典的な4楽章編成をとっている。第1楽章はユーモラスに開始され、明るく軽快だ。リズミカルな第2楽章に続き、第3楽章はまるで彼岸のような平穏な美しさをたたえている。玄妙さが感じられる。第4楽章は「やっとついた決心」という表題が付けられ、「そうでなければならないのか?」と題されたモチーフに続き、「そうでなければばならない!」と題されたモチーフが続く。そして明るく活発な曲想の中、随所のこの2つもモチーフが現れ、「そうでなければならない!」のモチーフで力強く終わる。

ベートーヴェンの後期の5曲の弦楽四重奏曲は、第12番作品127が4楽章編成の後、続いて作曲された第15番作品132が5楽章、第13番作品130が6楽章、第14番作品131が7楽章とだんだん楽章が増えている。そして最後に作曲されたこの第16番はなぜか4楽章と元に戻っている。それに加え、この曲がベートーヴェンの最後の作品であること、さらに第4楽章に付けられた上記の表題や2つのモチーフをめぐって、いろいろな議論がなされてきたようだ。
ぼくはもちろん素人だけど、そして素人考えを言わせてもらうと、この曲にはあまり哲学的な意味はないと思う。ベートーヴェンには、大曲を創作した後、肩の力が抜けたような曲を作曲することが少なからずある。交響曲第7番の後の第8番が好例だし、弦楽四重奏曲の分野では第7~9番のラズモフスキー四重奏曲の後の第10番「ハープ」などにもそのことがいえると思う。第16番もそのような肩の力が抜けた曲なのではないだろうか。第4楽章の表題も大した意味はなく、この楽章は2つの対照的なモチーフを存分に対比させた作曲技術の現れと考えればよいのではないだろうか。このように考えたところで、この曲の価値が下がることはないはずだ。ぼくはひそかに(?)この、どこか軽やかな曲をとても愛している。

ズスケSQの演奏は明快ながらかちっとした着実なもの。第1vnのカール・ズスケの歌い回しには独自の魅力がある。ぼくが昔から大好きでいる演奏だ。

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