クレーメル/カシュカシアン/マのモーツァルト「ディベルトメントK563」

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ギドン・クレーメル(vn)、キム・カシュカシアン(va)、ヨーヨー・マ(vc)の演奏するモーツァルト「弦楽三重奏のためのディヴェルティメントK563」を聴いてみた。1984年3月のCBSソニー(現ソニー・クラシカル)への録音である。
音楽評論界の大御所・吉田秀和先生はこの曲を高く評価しておられるようだ。吉田先生の名著「LP300選」(新潮文庫、ただし現在は品切れ)から、長くなるが引用してみよう。

 「モーツァルトの後期―晩年の彼が到達した世界は、本当に唯一無二のものであり、それはベートーヴェンの晩年のような形而上学的深みや、バッハのそれのような超越的な高さではなくて、もっと現世的でありながら、同時に宇宙的とでもいった多元的な世界なのだ。
 私は、モーツァルトの晩年の作品の全部が傑作かどうか、知らない。(中略)。しかし、その中には、『魔笛』や『レクイエム』のような記念碑的大作とはまたちがった、もっと比較的めだたないでいて、彼の天才的本質、つまりは《音楽》の不滅性を証明しているようなものがある。私のいうのは、『弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調 K563』のことである。これは彼のかいた最後の《ディヴェルティメント》である。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3本の弦楽器で奏されるこの世界は、遊戯のうちにある清潔さ、日常的なものの不滅化の象徴としての音楽の本質の現存である。(中略)。
 弦楽器の三重奏は、ベートーヴェンその他もかいているが、それはもっと明るい、屈託のないセレナーデ的なものになっている。モーツァルトのこの作品に近いのは、むしろ、シェーンベルクが晩年にかいた三重奏かもしれない。シェーンベルクは、大病の結果、心臓の機能が停止して、一時完全に仮死状態に陥ったのち、また現世にもどってきた。彼の唯一の弦楽三重奏はそのあとでかかれたのである。」(P154~155)
さすがに慧眼であり、名評論だと思う(余談だが、ぼくは吉田先生以上の音楽評論を書く人を見たことがない)。このディヴェルティメントK563は、全6楽章からなり、演奏時間も約50分近い大作である。各楽章は、アレグロ―アダージョ―メヌエット―アンダンテ―メヌエット―アレグロと続く。しかし聴き手は聴いている間、ここはアンダンテで、ここはメヌエットで…などと意識しないのではないだろうか。上記の吉田先生の文章で示唆されているように、この曲で描かれているのは彼岸の世界である。いろいろな花が咲き乱れる楽園である。単純に明るいではなく、「遊戯のうちにある清潔さ、日常的なものの不滅化」を表しているのだと思う。なかでも第4楽章から第6楽章にかけての流れはまさに絶妙、神業である。

クレーメル、カシュカシアン、ヨーヨー・マの演奏は、いかにも大家がアンサンブルを楽しんでいるという風情で、好感の持てるものだ。チェロが、他の2人と同等かそれ以上に自己主張をしているのはさすがである。

 

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