カルロス・クライバーのベートーヴェン「交響曲第7番」

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一昨日6月15日はmiwaplanさん、garjyuさん、ダンベルドアさんの共同企画「勝手にカルロス・クライバーの日」でした。しかしぼくは、一昨日・昨日とも、自分のブログを開くのがやっとで音楽を聴いている時間はほとんどなかったのです。「エントリーは、1日2日早くても遅くても、大歓迎です。」と書いてあります。そこでぼくは2日遅れで、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第7番でエントリーすることにしたのです。1975年11月、1976年1月のDGへの録音です。

20世紀を代表する2人の指揮者アルトゥーロ・トスカニーニとヴィルヘルム・フルトヴェングラーが対照的な演奏スタイルを取ったことは有名な事実です。トスカニーニは楽譜に忠実な客観的な演奏、フルトヴェングラーは主観的な演奏です。その結果、トスカニーニからは輝かしく熱気にあふれたアポロン的な演奏、フルトヴェングラーからはじわっと底力の感じられるデモーニッシュな演奏です。ところで「帝王」カラヤンは、フルトヴェングラーが音楽監督を務めていたベルリンフィルを継承するとともに、トスカニーニを深く尊敬していました。彼は若き日に、トスカニーニとフルトヴェングラーの両者を総合し、アウフヘーベン(止揚)する演奏を志していたと言われています。
しかしカヤヤンは徐々に独自に美意識に基づく「カラヤン・サウンド」を築いていくようになりました。その結果、トスカニーニともフルトヴェングラーともまるで異なる演奏が生れたと言わざるをえません。もちろんこれはカラヤンの個性・芸術観の問題であり、これを非難するのは筋違いですが。

ところでこのトスカニーニとフルトヴェングラーの総合・止揚ということにかなりの程度まで成功したのが、実は、カルロス・クライバーなのではないでしょうか。このことは、このベートーヴェンの代表作の1つである第7交響曲にも現れているように思います。この曲は、ワーグナーが「舞踏の権化」と評したように、ダイナミックな生命感にあふれる作品です。カルロスの演奏を聴いているとトスカニーニ的な熱気とリズム感、緊張感にあふれています。この第7交響曲にふさわしい演奏のように思われます。しかし同時に、随所にフルトヴェングラー的な要素も感じられるのです。たとえば、第1楽章での低弦部の響かせ方、第2楽章での休止符の使い方、あるいは全曲での見られる細かなテンポの動かし方です。第7交響曲が本質的にはアポロン的な曲だとしも、単純にそれだけの曲ではないことを実感させてくれる演奏だと思われるのです。カルロスの天才の現れた演奏だと言えるのではないでしょうか。

カルロス・クライバーはもはやこの世にありません。私たちファンは彼の残した録音を楽しむとともに、その少なさを嘆くほかありません。ぼくは、彼の本領は交響曲だけでなくオペラにも現れているように思うのですが、その話はまた機会があればこのブログに書いていきたいと思っています。

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