村上龍『ライン』(幻冬舎文庫)

村上龍『ライン』(幻冬舎文庫)という本を読み終えた。
村上龍の小説を読むのは久しぶりだった。本ブログの古い記事を遡ってみると、2006年10月20日に『2days 4girls』(集英社文庫)という小説の記事を書いていた。その時以降、村上龍の小説を読んだ記憶はないから、約2年半ぶりに読んだことになる。

この『ライン』という小説は1998年に単行本が出たらしい。だがぼくは最近まで、この『ライン』という小説が書かれたこと自体を知らなかった。村上龍作品の中では、地味な存在なのではないだろうか。

ぼくはこれまで、村上龍の小説は10~15冊くらい読んだことがある。出来不出来の激しい作家だという印象を持っている。一般論として、メディアで派手に取り上げられた作品は、うまくいっていない場合が多いように思う。
逆に、あまり有名でない作品に中に出来のよい作品が埋もれているように思う。たとえば、『イビサ』『エクスタシー』『イン ザ・ミソスープ』『村上龍料理小説集』などだ。上記の『2days 4girls』も静かすぎた感はあるが、悪くなかったように思う。

さて本作『ライン』は、東京の一夜を舞台にしている。合計18人の主人公が登場する。ある人物に関する物語が完結すると、次にその物語に登場する別の人物に関する物語が始まり、それが終るとその物語に登場したまた別の人物に関する物語が始まる…という構成を取っている。
本作は合計20章からなるが、上記のような構成を取っているため、各章が独立した短編だといえなくもない。

18人の登場人物は、それぞれが精神的にいって、この日本で「普通」だと考えられている存在ではない。月に1回SMクラブの女と遊ぶ男、SMクラブ嬢、その同僚、女を通り魔的に半殺しにする男、等が次々に登場する。
こうした登場人物の精神的な寂しさ、空白感はどうだろう。

たとえばこんな一節がある。

「フミは東京にも違和感があった。あの日本海側の街には死んでも戻りたくないが、寒さと不快感がはっきりとした輪郭を持っていた。すべてが明確だった。外側では雪が常に舞っていて、内側は吐き気がする暖かさだった。その二つを隔てているのは汚れたガラス窓で自分はその切り離されている内側と外側のどちらかにいなくてはいけない。ガラス窓になることはできなかった。…
だが、(注:東京に来て手に入れた)そういった小物や家具は気持ちを引きつける力が弱い。内臓のどこかに眠っている記憶が襲ってきたときにはあまり役に立たない。換気扇を常に回しているが、ときどきふいに部屋に漂ってくるあの街の魚の匂いを消すことはもちろんできない。客引きの男が粗大ゴミを漁っている。細い通りには一定の間隔で街頭が立っている。この通りは生暖かい、とフミは青白い蛍光灯のスポットライトの下で思った。部屋の中は適度に暖かく、外は生暖かい。内側と外側の境界がはっきりしない。快適だが、弱い。あの海の傍らの街の寒さがからだの奥に甦るのをこの快適さは防ぐことができない。…」

彼らは皆、子供の頃に何らかのトラウマを経験している。親からの虐待、性的暴力、同級生からのいじめなどだ。
しかしこうしたトラウマが、彼らの精神的な空白感、異常性をもたらしたと考えるのは短絡的だろう。
今の日本人に正常と異常の区別をつけることができない。今の日本社会そのものが病んでいる。毎日のようにメディアで報じられる「異常な」犯罪がその端的な証拠ではないだろうか。
本作に登場する人物たちは、日本社会が病んでいることの具体的な例に過ぎないということなのだろう。

本作は上で挙げた『イビサ』等に比べて、こじんまりとまとまり過ぎている感はあるが、村上龍の秀作の一つだと思う。

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