
今日の東京は冬晴れの好天気でした。東京ではこれで、年の初め以来ずっと晴天が続いています。
まず最初にお断りしたいことがあります。本ブログでは、2006年7月の開始以来ずっと、同じ曲は二度と記事にしないという方針を守ってきました。それは、できるだけ多くの曲について記事を書きたいという気持ちからです。開始以来約2年半の間重複して取り上げた曲は、J.S.バッハのイギリス組曲の第3、5、6番(3番でリヒテルとアスペレン、5、6番でリヒテルとグールドが重複)とブランデンブルク協奏曲第2番(コッホとコープマンが重複)だけだったと思います。
しかし開始以来約2年半が経過し、その間のクラシック音楽をテーマにした記事は220を超えています。1回の記事で複数の曲を取り上げたケースもありますので、これまで250曲程度の曲を取り上げているのではないでしょうか。
このようになると、同じ曲を二度と取り上げないという方針を維持するのは困難になってきます。記事のネタがだんだんなくなってきます。具体例を挙げると、ベートーヴェンの交響曲は第5、第9以外すべて記事を書いているのです。その上、かなり以前に取り上げた曲をもう一度振り返ってみることは、それなりに有意義なのではないでしょうか。
そういうわけで、これからは、過去に取り上げた曲についても記事を書くことにします。ただし、その場合は明記し、過去の記事をトラックバックすることにします。
さて、今日の記事はフランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏するベートーヴェンの交響曲第6番「田園」です。録音年月については、ライナーノートに1959年から61年にかけてとしか記載がなく、詳細はわかりません。同曲は過去にトスカニーニ盤を取り上げたことがありますので、2回目ということになります。
ぼくはここ1、2年、このコンヴィチュニーとか、昨年生年100年ということで注目されたカイルベルトのベートーヴェンに特に惹かれるようになりました。
ぼくはずっと、ベートーヴェンの交響曲は、モノラルでトスカニーニ、ステレオでカラヤン、デジタルでスウィトナーだと思ってきました。
しかし近年どうも、トスカニーニとかカラヤンのような大指揮者、スーパースターによる個性的な演奏は、聴いていて疲れてしまい、敬して遠ざけたいという気持ちなのです。コンヴィチュニーやカイルベルトの方が、気楽に聴くことができ、その上聴いていて感心するような点も少なくなく、聴きやすいのです。
オーケストラの分野では、ここ20年くらい、アーノンクールをはじめとする古楽器オーケストラによる演奏が一世を風靡し、現代オケでもラトルらその影響を受けた演奏が多く現れました。ぼくなどは、こうした古楽器派の、良く言えば新鮮、悪く言えば軽量級のアプローチをだんだん聴き飽きてきて、もっと他の傾向の演奏を聴きたくなってきました。こういう状況のとき、コンヴィチュニーのような古き良き時代を思わせる演奏は、非常にありがたい存在です。
この「田園」など最たるものです。なんとまあ、晴朗で純朴な演奏なのでしょうか。いかにも古き良き時代のドイツの質実なオーケストラの音です。
コンヴィチュニーは、あまりテンポを揺らしたり、細部を繊細に詰めていったりしません。ベートーヴェンの演奏はこれでいい、という自信が感じられるようです。自然体といえばこれ以上ないくらい自然体の演奏です。中でも、第2楽章の息の長い清澄な演奏は特に印象に残ります。
ベートーヴェン自身が元々意図していたのは、トスカニーニやカラヤンのような現代的で精巧で個性的でアプローチでも、アーノンクールのような斬新なアプローチでもなく、このコンヴィチュニーのような自然体の演奏なのではないでしょうか。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、細かなアンサンブルの乱れがなくはないようですが、後年のようにインターナショナル化することもなく、ライプツィヒ伝統の質実で柔らかい音を聞かせてくれます。
なお前述のように、この曲は過去にトスカニーニ盤をエントリーしたことがあるので、その時の記事をトラックバックします。
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