角田光代『八日目の蝉』(中公文庫)

角田光代『八日目の蝉』(中公文庫)という小説を読み終えた。
たいへん素晴らしい小説だったと思った。

物語は大きく1章に分かれている。
1章は「野々宮希和子」という20代後半の女性が語り手となっている。
希和子は、秋山丈博という男性と不倫関係にあり、秋山との間にできた胎児を中絶したという過去を持っている。ところが、秋山は妻との間に子供が生まれたという。
希和子は赤ちゃんを一目みたいという気持ちから、秋山と妻が赤ん坊を家に置いて留守にする時間帯を見計らい、留守宅に侵入する。
最初希和子は赤ん坊を一目見ただけで帰るつもりだった。

「そのまま抱き上げようとした瞬間、赤ん坊は口をへの字に曲げ、希和子を見る。まつげが涙で濡れている。目にたまった涙がするりと耳の上に流れる。そうして、まだ目に涙をためているのに、赤ん坊は笑った。たしかに笑った。希和子は硬直したように動けなくなる。
私はこの子を知っている。そしてこの子も私を知っている。なぜか希和子はそう思った。」

こうして希和子は赤ん坊を誘拐するに至る。
赤ん坊は女児だった。希和子は「薫」と名付ける。堕胎した子につけるつもりだった名前だ。
それから希和子と薫の逃避行が始まる。
最初は千葉の友人宅へ、次は名古屋の取り壊されようとしている住宅に居座る老女の元へ、そしてエンジェルホームという女性ばかりの新興宗教のコミューンのようなところへ移る。
希和子と薫はエンジェルホームで2年以上を過ごすが、そこに警察の手が入りそうだと分かり、エンジェルホームで仲良くなった友人の実家のある小豆島に逃亡する。小豆島はまさに地上の楽園のような場所だった。
希和子はここで薫といつまでも2人で生きていけるようにと強く願うが、その2年後、警察の知るところとなり、希和子は誘拐の罪で逮捕され、薫は本当の両親である秋山夫妻の許に連れ戻される。

ここまでが1章である。

後半の2章では成長し大学2年となったかつての薫、本名「秋山恵理菜」が語り手となる。
恵理菜は、希和子の手から離れて本当の親である秋山夫妻とともに暮らすようになるが、幼児期を希和子とともに小豆島で過ごしたという事実を変えることはできない。
恵理菜は両親に対して違和感のような感情を抱き、また両親も恵理菜に対して、生まれてからずっと我が手の下で育てた子供に対して抱くような愛情を持つことはできないでいる。加えて恵理菜は、誘拐犯に育てられた子供だということで世間から好奇の目で見られ、なかなか友だちもできない。
やがて大学生となり、大学入学と同時に両親の許から離れ、自活を始めた。そしてアルバイト先で知り合った岸田という男性と不倫関係に陥る。
その恵理菜の許に、かつてエンジェルホームで幼児期を仲良く過ごした安藤千草という女性が現れた。

この辺りから2章の物語は展開を始める。

ぼくは角田せんの小説を読むのは始めてだったが、ストーリーテラーとしてかなりの腕前だと思った。
母の子に対する気持ち=母性の強さ・深さを見事なまでに描いた小説だ。
また特に1章での希和子と薫の逃避行の描写は、たいへんリアルでよく出来ていると思う。

しかしこの小説で最も感動的なのは、2章の最後10~20頁と、その後に置かれた終章で希和子が再び登場する場面ではないだろうか。

2章の最後で恵理菜は、千草と、そして自分のお腹の中に育まれている子と3人で、小豆島に向かう。その途中で恵理菜の中のあるものが大きく変貌していく。
さらに終章での希和子の描写は本当に感動的だ。

「なぜだろう。人を憎み、大それたことをしでかし、人の善意にすがり、それを平気で裏切り、逃げて、逃げて、そうするうち何もかも失ったがらんどうなのに、この手のなかにまだ何かを持っているような気がするのはなぜだろう。いけないと思いながら赤ん坊を抱きあげたとき、手に広がったあたたかさとやわらかさ、ずんとする重さ、とうに失ったものが、まだこの手に残っているような気がするのはなぜなのだろう。」

希和子は8年の懲役刑に処せられ、出所したものの、文字通り何もかも失っている。
しかし、母親のわが子(実際はわが子ではなく、誘拐した子である)に対する愛情は、こんなにも大きく深いものだろうか。
子供を生み、育てたということが、こんなにも女性を強くするのだろうか。

ぼくはこの終章を2回、3回と読み返した。
瀬戸内海の美しい港で、小豆島に向かう妊婦・恵理菜と、希和子がそれとは知らずに見守る場面は、真に感動的だった。


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