ハンガリーSQのベートーヴェン「弦楽四重奏曲第15番」

画像今日の東京は午前から午後にかけてが曇り空で、夕方から雨が降るという典型的な梅雨の1日でした。今年の梅雨はよく雨が降るように思います。

今日はハンガリー弦楽四重奏団の演奏するベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番作品132を鑑賞しました。録音は1953年です。ハンガリーSQはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を2回にわたり録音していますが、今日聴いたのは1回目の録音です。

ベートーヴェンの5曲の後期の弦楽四重奏曲というと、ぼくがクラシックを聴き始めた1979年代には、一般に難解な音楽というイメージを持たれていたと思います。
ぼく自身も聴き始めてすぐ共感できるようになったわけではありません。しかし難解だからといって聴かずに済ますことの出来ない何かを感じたような記憶があります。
そして80年代にいろいろな弦楽四重奏団の演奏を聴いているうちに、ぼくの音楽鑑賞の中で欠かせない一部分を占めるようになりました。
今では、長い間、後期弦楽四重奏曲を聴かずにいて、久しぶりにこれらを聴くと、心の故郷に帰ったような気持ちになるのです。

さて今日聴いた15番は5曲の後期弦楽四重奏曲の中では、最も分かりやすい作品なのではないでしょうか。
この曲の中核が「リディア旋法による、病から回復した者の神に対する聖なる感謝の歌」と題された第3楽章にあることは間違いありません。第3楽章は全5楽章の中心に位置するとともに、本ハンガリーSQ盤で演奏時間約39分の3分の1強の14分近くを占めています。静かで玄妙で神々しさを感じさせる楽章です。

しかし本曲については別の見方もできるのではないでしょうか、アレグロ・ノン・トロッポの第2楽章とアッサイ・ヴィヴァーチェの第4楽章を捨象して奇数楽章だけを見ると、思い悩むような深刻な第1楽章、玄妙で静謐な第3楽章、ダイナミックに高揚する第5楽章というように、暗から明へというベートーヴェンを生涯を通してのモチーフが現れるように思うのです。「苦悩を通しての歓喜」というモチーフです。
もっとも第2楽章は本ハンガリー盤で7分強もかかり、そのようにあっさり捨象してしまうのはおかしいかもしれませんが…。

ハンガリーSQの演奏はすばらしいものです。とりわけ第3楽章での素朴ながらも滋味豊かでしみじみとした表現には心を打たれます。また第5楽章で徒らに高揚せず、節度をわきまえたきりっとした演奏をしているのも立派なものです。2回目の録音が全く枯淡の領域に達した演奏だったのに比べて、今日聴いた1回目の録音は2回目よりテンポが早めで流麗ながらも、どこかに素朴な味わいの残った演奏です。

少々話がそれますが、ぼくはこのハンガリーSQのベートーヴェンが大好きなのです。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集といえば、ズスケSQと並んで両横綱に挙げたいほどです。もっとも今日聴いた旧盤と新盤の優劣は難しいですが…。
これら両SQに加えて、モノラル時代のバリリSQとデジタル時代のグァルネリSQを加えて四天王ではないか、と今の時点では考えています。他にも、ブダペスト、バルトーク、タカーチの各SQ等、忘れることのできない演奏はありますが…。
今日聴いたハンガリーSQの旧全集は長らく廃盤になっていて、数年前中古店でやっとの思いで入手することのできたものです。
最近、既に持っているハンガリーの新盤を重複して買おうかと思っています。なぜかというと、現在持っているCDが傷み、買い直そうとした時に旧盤の様に廃盤になっているという事態に備えた方がいいのではないかと思うからです。
それくらいハンガリーSQのベートーヴェンが好きなのです。


追記 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番については過去にハンガリーSQの新盤についての記事を書いたことがありました。その時の記事を自己TBします。

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