アバド/VPOのマーラー「交響曲第9番」

今日の東京は、昨日に続いて晴天の暑い1日です。今日正式に関東地方の梅雨明けが宣言されたようです。

さて今日の1曲は、マーラーの交響曲第9番ニ長調です。演奏はクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。1987年5月のライヴ録音です。
マーラーの濃厚で色彩感豊かな交響曲は、夏に聴くのにふさわしいのではないでしょうか。逆にブルックナーの交響曲は、秋冬に聴くのにふさわしいように思います。

それはさておき管理人にとってマーラーは、交響曲の分野ではブルックナーに次いでよく聴く作曲家です。しかしそのようになったのは、ほんの7、8年前、本ブログ開設以降の出来事なのです。本ブログを開設した2006年の頃は、管理人にとってマーラーはR・シュトラウスやストラヴィンスキーと並び苦手の作曲家だったのです。
2010年代に入ってからマーラーの10曲の交響曲(第1〜9番と「大地の歌」)に徐々に親しんでいくにつれ、最高傑作は世評通り今日聴いた第9番だと思うようになりました。本曲はライナーノート(根岸一美)によれば、告別を主題にした標題音楽的要素があるようです。確かに、本曲の白眉である第4楽章にはそのように聞こえます。生から死へ、動から静へ、この世から彼岸へ、有限から無限へ旅立っていくような第4楽章は、聴くたびに新たな感動を与えてくれます。
しかし本曲には、それとは別の側面があるのではないでしょうか。
本ブログでは、ブルックナーの交響曲について大自然、大宇宙をそのまま表現したものだと述べてきました。同じことがマーラーの交響曲第9番についても言えるのではないでしょうか。一見彼岸の世界を思わせる第1楽章にも地上の大自然を思わせるものがあるように思います。さらに中間の第2・第3楽章が、猥雑な人間世界を表現し、混乱した地上世界を表現しているのではないでしょうか。そして第4楽章は、そのような一切のダイナミクスと混乱の地上世界から永遠の世界への旅立ちを表しているのではないでしょうか。

アバドの本曲の録音は2種類存在しており、今日聴いたウィーン・フィルを振った録音は初回の録音です。1980年代以前、ベルリン・フィルの音楽監督に就任する前のアバドというと、管理人には分かりやすい演奏をしてくれるスマートな指揮者というイメージがあります。ただ当時の管理人は、アバドの演奏をあまり聴くことがありませんでした。
今日マーラーの第9を聴いてみると、意外に表現意欲が強く、明晰な演奏をしています。明確で滑らかな旋律を奏でます。またウィーン・フィルの艶やかで滑らかで色彩感豊かな音色、ニュアンスが、マーラーの色彩感溢れる曲想にぴったりです。ウィーン・フィルの長所を生かした演奏だと言えます。マーラーを得意にしたバーンスタインの感情濃厚型のマーラーとは異なるタイプの名演です。
管理人は、アバドが1999年にベルリン・フィルを振った本曲の再録音も持っており、「レコード芸術」誌の評論家の先生の間では再録音の方が評価が高いようです。しかし管理人には、再録音では初回録音に存した表現意欲が失われ表面的な美しさに止まっているように思われ、アバドで本曲を聴くのなら今日聴いた初回録音の方を好みます。

以下、脱線します。管理人は、マーラーの交響曲はウィーン・フィルで聴くのが最も良いように思います。マーラー自身がウィーンに在住し、ウィーン・フィルの首席指揮者を3年ほどですが務めました。マーラーは交響曲を作曲中も、頭の中ではウィーン・フィルの音が鳴っていたのではないでしょうか。
ウィーン・フィルの次にマーラーに適したオーケストラは、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ではないでしょうか。コンセルトヘボウ管弦楽団の柔らかな音色もまたマーラーに適しているように思います。これに対して、ドイツの質実剛健型のオーケストラ(ベルリン・フィルとバイエルン放送響は除きます)は、ベートーヴェンやブルックナーと相性が良くてもマーラーにはどうか…と思うのです。

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