桐野夏生『抱く女』(新潮文庫)

桐野夏生『抱く女』(新潮文庫)という小説を読み終えた。
管理人は桐野夏生さんのファンだった時期がある。2006年、本ブログを開設した頃だ。『グロテスク』(文春文庫)が最初で、『グロテスク』を読んで桐野さんのファンになり、『OUT』『柔らかな頬』などを読んでいった。本ブログで記事にした作品も多い。
しかし2010年頃から、桐野さんの小説をあまり読まなくなった。理由は、その頃から、毎年出版される桐野さんの小説に不出来だと思うものが多くなっていったからだ。本ブログを休止していた2012〜16年の間に読んだ『ポリティコン』やその後出た『バラカ』といった大作は、特に失敗作だと思った。
そのようなことがあったので、本作『抱く女』も期待せずに読み始めた。『抱く女』はアマゾンのレビューを見ると低く評価されているので、なおさらである。

読み終わった感想は、これは傑作ではないか、というものだ。アマゾンでの評価が低いのは解せない。

物語は1972年9月から12月に設定されている。東京の吉祥寺が主な舞台となっている。
1972年の秋といえば、その年の初めに連合赤軍あさま山荘事件が起き、それまで盛んだった学生運動が下火になりつつあった時代である。
主人公の三浦直子は20歳の大学3年生。吉祥寺近くの大学(成蹊大学と思われる)に在籍している。実家は吉祥寺の酒屋で、実家から通学している。
直子は吉祥寺で酒を飲み煙草を喫い、麻雀を打ち、ジャズ喫茶でアルバイトをし、遊び仲間の複数の男とセックスをする、という怠惰で自堕落な毎日を送っている。しかし、決して幸福なのではない。
直子とその遊び仲間がこのような生活を送っている背景には、学生運動が学生側の敗北で終わったということがあった。

「殺し、殺される。思わず物騒な言葉が出るほど、やられたら、やり返す、という暴力の連鎖がどうにも止まらないのは、目的を失ったからだろう。
学生は全面的に敗北したのだ。60年安保然り、70年安保然り。変えようと思っても、アメリカに追随し、服従している事態は何も変わらない。無力感だけが、身を苛む。潰されて嗤われた悔しさは、大人には決してわかるまい、と直子は思う。」(114頁)

直子が色々な男とセックスをしているのは、愛ゆえではない。
直子は友人の宮脇泉と次のような会話を交わす。
「(直子)「だって、そんな好きじゃなくて、気持ちもよくなかったら、つまらないことをしてしまったと後悔するじゃない。なのに、次々と声をかけられたら、寝てしまうあたしって、何なの」
「あたしもそうだよ」と、泉。「何かさ、女って男に欲せられていること自体に酔うんだよね」
「わかる。男が欲しているのって、好きというのとは違うのに、どうして勘違いするんだろうか」
(中略)
「男が自分を欲していることで、自分という女が成り立っているような錯覚を起こすんだよね。アイデンティティの確認でもしているのかしら」
直子の言葉に、泉が頷いた。
「そうなのよ。本当に恋愛しているわけじゃないから、いくらでも遊びで寝れるのよね。…」」(98〜99頁)

直子や泉が送っているのは、若いエネルギーを発散する場のない、不毛な毎日である。

そんな中、泉の元カレで学生運動に身を投じていた青年・高橋が自殺するという事件が起きた。そこからストーリーが進み始める。
直子は偶然、新宿でマリファナを喫い、それがきっかけとなってジャズ・バンドのドラマー兼便利屋をしている青年・深田と知り合い、熱烈な恋に陥る。直子にとって人生で初めての恋である、というストーリーである。

1972年というと管理人は小学校高学年だった。だから、その時代の雰囲気や若者の抱いていた心情は直接には分からない。だが先輩の話を聞いたり物の本を読んだりすると、その時代に学生たちが国家権力と戦い敗れていったことが、学生たちの心情に暗い影を落としていたことがわかる。自暴自棄になる者もいただろうと思う。
だいたい20歳前後の若者というものは、男も女も有り余るほどのエネルギーを持っている。そのエネルギーが学生運動に向かったり、恋愛に向かったり、音楽に向かったり、学問研究に向かったりするのだろうと思う。エネルギーの向かう場のない若者は不幸である。しかし学生運動が敗北してしまうと、エネルギーの向かう場所がなくなってしまう。
深田と出会うまでの直子は、学生運動に参加せず、本当の恋も知らず、音楽にのめり込むこともなく、エネルギーのやり場のない、不幸で不毛な毎日毎日を送っていたのだろうと思う。

なお本書は吉祥寺の街並みの描写が非常にリアルだ。桐野さんが吉祥寺が最寄り駅の成蹊大学(直子も成蹊大学生だ)の出身で、1972年当時まさに成蹊大学に在学していたので、当時の状況を直接見ていたせいだろうと思う。本書で描かれた学生の生活状況などは桐野さんが学生時代に見聞したことが生かされているのかもしれない。

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