W・マイヤー/アーノンクールのモーツァルト「クラリネット協奏曲」

今日の東京は1日中曇り空で、冬がすぐ近くまで到来していることを実感させられるほどの肌寒さでした。今日で3連休が終わるわけですが、ぼくは最初の日に息子(中1)とともに福山雅治主演の「容疑者Xの献身」という映画を見に行った以外は、ほとんど家で過ごしました。

今日はモーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K622を聴きました。演奏はヴォルフガング・マイヤー(バセット・クラリネット)とニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスです。録音は1998年10月です。なおヴォルフガング・マイヤーは、ザビーネ・マイヤーの実兄です。

モーツァルトは周知のように晩年、クラリネットの名手アントン・シュタートラーとの出会いを機にクラリネット五重奏曲K581とクラリネット協奏曲K622という2つの名曲を作曲しました。ともにモーツァルトの全作品中に特異の地位を占める名曲だと思いますが、ぼくはどちらかといえばクラリネット五重奏曲の方が好きです。が、これは強いて言えばという程度で、どちらもほとんど同じくらい大好きでいます。

ただ今日クラリネット協奏曲を聴いて改めて思ったのですが、なんと物悲しく寂しい音楽なのでしょうか。穏やかで優雅な第1楽章にも底流には物悲しいものが流れていると思います。またこれ以上美しい音楽は他にないのではないかと思わせられるくらい天国的に美しい第2楽章も、特に独奏クラリネットの旋律が、聴いていて悲しくてなりません。第3楽章でさえ、中間部分が短調のせいもありますが、単純な明るい音楽ではないと思えてくるのです。

どうしてこんなに聴いていて物悲しい思いに囚われるのでしょうか。
クラリネットという楽器のあの独特の音色のせいもあると思いますが、作曲当時のモーツァルトが経済的に困窮し、またわが子の死に直面するなど、生活面ですり減らされていたという精神状態が、そのまま作品に現れたのかもしれません。あるいは天国にいるということは、単純に楽しいばかりでなく、悲しく寂しい側面があるということが示唆されているのかもしれません。

ヴォルフガング・マイヤーとアーノンクール指揮VCMによる古楽器の演奏は、作品の持つ以上のような側面をより際立たせるものだと思います。マイヤーの演奏は端正で、バセット・クラリネットの典雅な音色は味わい深いものです。アーノンクールの演奏は、第3楽章にかつての斬新さが姿を見せますが、全体としては彼の80年代に比べると大人しくなっています。
余談ですが、アーノンクールは80年代には過激すぎると評され、90年代後半以降は、かつての過激さ・斬新さが失われたとして批判されているように思います。どのような批判をするかはその人の自由ですが、彼はずいぶん損な役回りを押し付けられているように思います。
真に芸術的なものはスキャンダラスな目で見られる、とか、三島由紀夫の言にありましたが、なるほど良いことを言うものだ、と思うのです。



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